生き方

2007年9月27日
生き辛さの原因にぶち当たったような気がした。

もしかしたら、「仕方ないんだ。そういうもんなんだ。私に非はないんだ」と自分に欠けている部分を肯定したいのかもしれないけど。

だからといって、自分にその要素があるのかどうか判定してもらうことは怖い。

現実を素直に受け止められるだろうか。それを背負って、一生を生きていけるだろうか、と。

今は知らなくてもいいけれど、もしかしたら将来このことで誰かに迷惑をかけるかもしれない。しかし、そのことを専門機関に相談するとなると、やはり現実と対峙しなくてはいけないかもしれない。

じゃあ、今じゃなくてもいいじゃないか。いずれ知ることになるのなら、宣告の日はいつか先でもいいじゃないか。

2つの考えが渦巻くのです。

可能性があるのなら、早いうちに対策なり将来のことなりを考えていかなくてはいけないのではないか。
しかし、もしかしたらそれが自分にとって不利に働くのではないかと。

どっちにしても、結局生き辛い。なんだろうなあ、どうしたら生き易くなるのかなあ。

生き辛さの原因を考えることで生き辛くなるというのはどうしたもんだか。

すがれるものがない。すがりたくないと思うからこそ、そうやってきたからこそ、すがれるものがない。

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